ふしぎをのせたありえるごう
やっほー、妹! というのは、書き出しにしては、かなり奇抜な部類にはいる。というのも、これを手紙に書いたキャプテンは、もともと仕立て屋さんが娘のために作った人形で、針で脳みそをぶすりとやられたために、人間になってしまった人だからだ。タスマニア、突然こんなことを言い出すのも、人間になって間もなくのことだ。ギャグでこんなことを言えるのは、現存の人間ではバカルディの大竹くんしかいない。わからない人は、ナイナイを観察せよ。
そんな内容の本書は、たぶんジャンルでいえばジュブナイルを意識して書かれたものだろう、訳も指輪物語のようなですます調だ。かといって、おはなしが、とても楽しい嬉しい、少年少女に夢を与えるものかといえば、そうとも思えない。何しろ、重要な登場人物であるステテコ(人物名)が数秘学に懲り過ぎて、そのステテコ製の脳味噌がおかしくなってしまい、その他大勢の登場人物まで、悲惨な運命を辿るのである。あまり詳しいことを書くと、これから本書を読もうとする人に悪いので、そこから先は、てんてんてん(郷ひろみを観察)としたいが、要するにあまりハッピーとは言えない結末だ。
確かにわくわくどきどきするてんかい、ということでは、よくできているといえないこともない(先を考えずに読むとおもしろい、という)。操船や海賊なども描かれて、ばっちりな宝島となっている。しかし、ステテコの狂気と、ウサギが死ぬのはいかん。ステテコの狂気!、ステテコの狂気! 聖書からできているステテコの頭(人形に魂を吹き込むには、本を読んであげることがいりようなのです)が、狂気に陥ってしまうのは、原理主義への作者の皮肉かもしれないし、もしかしたら、読者のお父さんが、オカルトに傾倒して、月とハンバーガーの大きさを比べてみるような場合には、ステテコの末路を思い出して、警告してあげなさい、という作者の思いやりなのかもしれない。人生は、聖書だけではだめなんだ、マザーグースの陽気さも必要なんだ、というのも重要なメッセージで、聖書のことを勉強もせずに引用するようなアヒル航海士もダメだ、ということは、みんな俺のように勉強してから引用しなさい、というメッセージかもしれません。こんなことを書くと読みたくなる人が増えるかもしれないので付け加えると、本書には、聖書とマザーグースとシェイクスピアの隠喩がちりばめられているのだそうです。わからない人は、観察せよ、ということですね。
でも、エンデのような説教たらしい話がきらいな僕も、それ打て、やれ打て、ぶちのめせ! という気分にはならなかったので、これは深読みしすぎというやつです。ウサギ航海士たちが死ななければ満点だったでしょう。もっと楽しい終わりかたのがいいね、キャプテンオンザシップ!
(ピーボ君)