グレングールドはヒンデミットのピアノソナタのライナーノートに
「1930年代にはいかような選択も自由だった」
という一文から始まるエッセイを書いている。この時代のシェーンベルクの進歩派とストラビンスキーの新古典主義を軸とした作曲家たちのごった煮状態を明解に分類してみせ、その中におけるヒンデミットの立場を論じている(これには一読の価値があります。一聴の価値もある、かな)。

 1920〜30年代というのは確かに音楽史の中で最もおもしろい時代で、伝統の保守と破壊とが同時進行で行われていて、ブラームスとマーラーがぶつかりあって、民族主義とアバンギャルドへ流れて行く音楽史の交差点って感じだ。この交差点で引き返す人や走って渡る人やいろいろいるんだけど、ここで紹介しようとしているツェムリンスキーは、何だか少し人より早めに渡り始めちゃったものの途中で後悔して交差点の真中で立ち止まり、人が渡っちゃった後でよろよろと渡ってみたっていう、そんな人だ。

 アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーは1871年生まれ。マーラーのかみさんのアルマの先生で、シェーンベルクの先生、義兄。代表作は1921年の「叙情交響曲」。その他に「メーテルリンク歌曲集」を始めとする歌曲たくさん、弦楽四重奏が4曲、若書きの交響曲が2曲、管弦楽曲としては交響詩「人魚姫」、「シンフォニエッタ」、舞台物でオペラ8曲、バレエ1曲など。

 叙情交響曲なんて実物よりベルクがその3楽章(のほんの数小節)を引用した、と「叙情組曲」の解説に書いてあることで有名という、ま、要するにマイナーな作曲家である。最近ではシャイーがベルリン放送響やらコンセルトヘボウやらと組んで全集に挑戦しているし、シノーポリがウィーンフィルの定期で取り上げてみたり(こいつは早くCD化されないかね)、国内でも穴狙いの指揮者が定期で取り上げたりするようになって、少しはメジャーになった。あとブレーズが「叙情交響曲」をBPOあたりで録音すれば殿堂いりも夢ではない。

 と、言ったところで、やはりプロモーターはマイナーかつソロの歌手が二人も必要な大交響曲を来日公演でやりたがらないに決まっている。現時点でなかなか演奏されない以上、10年20年後にメジャーになっているという展望もあまり明るい物ではない。ツェムリンスキーのクラシック音楽的価値は、マーラーとシェーンベルクの間を補間するものであり、一部のマイナーファンのコレクションを充実させるためのものであって、その状況は大きくは変わらないだろう。

 と、書いたところで気づかされてしまうのだが、そのツェムリンスキーを擁護している私は結局のところマイナーファンの負け惜しみみたいなものなのか。「いや、パッと聞きはつまらなく聞こえるんだけど夢見るようなオーケストレーションとその奥に熱い熱情がたぎっていて...」と(自己)弁護の言葉はいくらでも続けられるけど、それが「聞き馴れれば名曲になるの法則」であることを否定するのは難しい。音楽業界には「マイナーな曲にはマイナーである理由がある。」という認識があって、編成が特殊か技術的な無理があるか、そうじゃなければ駄作であるってことだ。どんなにチャイコフスキーファンが前半の交響曲の良さを主張したところで、後半にくらべて駄作であることは否定のしようもないし音楽史に残る作品ではない。特に「先進性」が「オリジナリティ」(≒音楽的価値)と等価であるとされてしまう20世紀前半のクラシック音楽で「マーラーとシェーンベルクの過渡的な作曲家」なんて位置付けの彼は歴史から消えて当然の存在とも思える。

 じゃあ彼は駄作しか書かなかったのか。はっきり言ってほとんどの作品は駄作である。シャイーベルリン放送響の交響詩「人魚姫」(1903)なんて、その曲名の魅力に負けて買ってしまった人も多かったろうが、ツェムリンスキーの名前を落とすに役立っただけだし、最晩年の「シンフォニエッタop23」(1934)も純管弦楽曲で演奏しやすい曲なのだがこれまたくだらん曲である。結局(歌無しの)純管弦楽作品は駄作ばかりであると言って良い。作曲家がメジャーになる条件の一つに「コストパフォーマンスのよい分野で完成度の高い(魅力的な題名の)作品をコンスタントに出す」というのがあると常々思っているんだけど、彼はこの条件を見事にはずしている。で、そういう評価されやすい分野の外で名曲と呼び得る作品を少し残したのであって、それらには先進性という意味でのオリジナリティはないかも知れないけど、そんな20世紀前半的価値基準を横に置いておけば、渋い味わいが人に勧められる曲であると思うのだ。現代はジョンケージとブラームスやベートーベンが並行して聞かれる時代なのだから。

 まず「メーテルリンク歌曲集 op13」(1910)を挙げよう。オーケストラ伴奏つき、ソプラノ独唱の6曲からなる歌曲集で詩はメーテルリンク。彼のユーゲントシュティル(青春様式)作曲家の面目躍如という作品で適度なエロティックさとあいまって夢の中の音楽、夜の音楽って感じに仕上っている。彼の比較的演奏しやすい名曲として、もっと演奏されて良い作品であろう(歌手のギャラも一人分で済むし)。

 メーテルリンク歌曲集以前の作品は若書きで未成熟なものになる(例「人魚姫」)。「メーテルリンク歌曲集」あたりと次の「叙情交響曲」にはさまれた数年が彼の最良の時代であり名曲とよべる作品が続く。合唱曲「詩篇23番 op15」(1910)、弦楽四重奏第2番 op15(1914)、オペラ「トラウムゲールゲ」(1907)。オペラ「Zwerg」(1922)(えーっと自主規制されて「王女の誕生日」と呼ばれております)。これらの作品はバランス感覚抜群で、音色へのオタクなこだわりが独特の世界をつくり出している(ラヴェルもびっくり)。

 そしてこの時期の最後を飾って、作曲家ツェムリンスキーの最高の作品である「叙情交響曲 op18」(1923)がくる。全7楽章の歌つき交響曲、詩はインド人のタゴール、バリトンとソプラノが交互に歌うという形式は言うまでもなくマーラーの交響曲「大地の歌」を意識したものである。しかしこの曲は少なくとも日本人にとっては「大地の歌」より親しみやすい曲になっていると思う。「大地の歌」のどぎつい東洋趣味とバランスの欠如が「叙情交響曲」では感じられない。そして、彼の特徴である繊細な音色や和音の趣味と、うちに向かって燃焼する熱さで、渋いながらも聞きごたえある一品に仕上っている。(でもね、やっぱり面白くないじゃんと言われれば、はいその通りです、って答えちゃうなあ)。ところでこの曲の演奏はマゼールBPO、ディースカウ、ヴァラディをあげるのが決まりだが、私はこの演奏が嫌いだ。ここではもっとロマンティックな所を目指しているシャイーコンセルトヘボウをあげておこう。シノーポリVPO版がでたらそれかも知れない。本当はクレーベルリン放送響を挙げたい。

 「叙情交響曲」のあと、彼はシェーンベルクの後を遅まきながら追い始める。音程の幅を極端に少なくしてみたり調性感を無くしてみたり。しかしこれらの作品は(この手の作品群が大抵そうであるように)今一つ面白みに欠ける。ただし晩年の「12の歌 op27」(1938)などは現代的な様式の中にロマンティシズムの残煌がみえてかなり素晴らしい作品に仕上っていることも付け加えておく。なお彼はナチス台頭後それを避けてアメリカに渡るが誰からも顧みられることなく1942年に世を去る。

 彼は自らの才能の少なさを認めている所があったんじゃないかな。「偉大な先人」マーラー的な破天荒でてつがくある音楽は書けないし、「恐るべき後輩」シェーンベルクのような攻撃的な前衛性も無かった。バランスの良さというのはしばしば「面白みの無い奴」と同じ意味で使われるのだけど、ツェムリンスキーは自らのバランスの良さを自覚し、自らの凡庸さを認めた上でしかしそれでは満たされぬ思い、バランスの中に閉じ籠められた思いを「叙情交響曲」で「私は不安だ」と歌ったのではないか。その凡庸さをつき抜けた熱さが彼の曲を忘れ得ぬものとしているのではないか。

 1920〜30年代、ツェムリンスキーの弟子たちを中心としたユーゲントシュティルと呼ばれる一団がいて、「前衛」への流れに背を向けて夢の中に閉じた(多くは陳腐な)作品(吹奏楽コンクール課題曲Dという感じだろうか)を書き続けていたという話はLondonの「退廃音楽シリーズ」で知られる所となったんだけど、おかげで彼ら、シュレーカーとかシュールホフといった作曲家が歴史上の存在から脱却してメジャーになろうとしている。それはもちろんレコード会社の、隠れた名曲発見企画に過ぎないのだけれど、それに乗ってそれらの曲たちを眺めてみると、哲学的な主張も神話的ドラマも無い彼らの曲は、だからこそ現代日本人に受け入れられやすい音楽になっているのじゃないか(現代日本人にとって陳腐でない音楽なんてないよね)。そしてユーゲントシュティルの先駆者で、途中からシェーンベルクの後を渋々追ったツェムリンスキーの、凡人的熱さこそノンポリで凡庸な我々(あ、あなたはそうじゃないかも知れない)にふさわしい音楽じゃないか、そんなふうに思っているのだ。